ハーフ&ハーフのピザ
【2019年10月16日】
晴れ
最高気温23℃
最低気温13℃
心の調子はいい感じ。
こんばんわ。
少し長くなるかもしれませんが、お話をここで1つ。
いまは父が私の親権を持ち、父方の祖母の家で暮らしています。
高校1年生の2月に、母のところを抜け出して、妹を置いて、ここへ来たのです。
私が小学5年生になる頃、両親が離婚しました。
小学5年生の春、母に連れられ母方の祖母・祖父・伯父、その奥さん、その息子さんの住んでいた家に居候することとなりました。
母は段々と家に帰ってこなくなり、妹の世話や家事は私の仕事となりました。
母方の祖母、祖父には小さいころから頭ごなしに怒鳴られていました、
「お前が妹をしつけないからだ」
「お前の責任だ」
「Yumimim!!!」
と。
離婚する前は父が出張から帰ってくると、また両親の怒鳴りあい。
母には、
「このことはだれにも言うな」
「パパには言うな」
「ママが病気になったらあんたのせいだから」
と。
そして、居候の私たちはお風呂にも入らせてもらえず。
週2、3回の銭湯。
ここには書ききれないくらい、いろんな事があった。
それは追々話していこうかな。
中学生の私は、どんどん学校にも行けなくなった。
通学型の通信制高校に入るも、1年生の単位は半分も取れなかった。
私には生きる気力がなかった。
高校1年生の冬、オーバードーズを覚えた。
ある日の深夜。鎮痛剤を30錠、これじゃ死なないな、まあ、死ぬ勇気もないな、死にたいな。
嫌だな、苦しいな、辛いな。
ふと思った。
父方の叔母、祖母なら…。
私、このままじゃもうだめだ、生きたい。
いつでもおいでって言ってくれる人が、私にはいる。
「親を見捨てる気か」
「自分だけ幸せになる気か」
そんな呪いの言葉はもう私には効かない。
母は何度も借金をした。
何千万も。父の名義で。
昨日の騒動の時、父はこう言った。
「俺が一番惨めな思いをしたのはな、お前がまた母親のところにいる時だ。1000万の借金の肩代わりして、まだ終わってなかった。お前がパスタが好きだから、帰りに食べさせてあげたのよ。そしたら、会計の時にな、たった3000円の金がねえのよ。」
その言葉を聞いた私は、声を上げて泣いた。なんであんなに泣いたのか分からないけど、
母親とは名ばかりの人への「心火の感情」なのかもしれないと少し思います。
拙い文章で読みづらいなか、ご閲覧ありがとうございます。
おやすみなさい。